応募フォーム
icon_Instagram icon_twitter icon_facebook
日東交通採用情報

女性運転者座談会


プロフィール

押足幸代

Sachiyo OSHIDARI

運転者 | 2006年入社

入社からこれまでのキャリア

2006年入社
2006年メディカル保険課(アフラック生命保険募集人)、2011年館山(営)事務、2013年運輸部事務、2014年大型二種免許取得、2015年富津(営)
乗合バス運転者、2021年鴨川(営) 乗合バス運転者 現在に至る

吉田美和

Miwa YOSHIDA

運転者 | 2004年入社

入社からこれまでのキャリア

2004年鴨川日東バス入社
鴨川営業所 高速バス運転者

山田牧子

Makiko YAMADA

運転者 | 2021年入社

入社からこれまでのキャリア

2021年入社 乗合バス運転者

明るい笑顔と誠意ある態度で地域住民の暮らしを支える女性運転者が活躍中!

「男性の仕事」と思われがちなバスの運転手。他産業に比べても女性比率はまだまだとても低い状況ですが、日東交通では15名の女性運転者が活躍しています(2022年3月現在)。鴨川営業所で日々奮闘する女性運転者3名に集まってもらい、運転者になったきっかけ、やりがい、仕事への想いなどを率直に語ってもらいました。

― 今日は業務の合間の忙しい時間に集まっていただき、ありがとうございます。
まずは運転者歴を教えてください。

吉田)私は一度会社を辞めているんですが、トータルで23年運転者をしています。1997年に日東交通に入社して、2002年まで勤めました。その時は木更津営業所で路線バス(市内線)を3年経験して、その後高速バスに乗っていました。それから2004年に鴨川日東バスに入社して、そのまま日東交通の社員として現在に至ります。

押足)2015年に運転者になったので今年で7年です。最初は富津営業所で乗合バスを担当して、その後、鴨川営業所に異動になりました。現在も乗合バスに乗っています。

山田)2021年11月入社です。まだ3ヶ月の新人です。現在は乗合バスです。研修が終わり、独り立ちしています。

― 吉田さんは20年以上の経験となると20代から運転者だったんですね。

吉田)はい26歳で入社しました。当時(1997年)、会社には女性運転者は1人もいなくて、人事担当の方は「30年振りの女性運転者だ」っておっしゃってました。30年前にもいたんだと驚きました。女性用の制服を考えてくれたり、色々お世話していただきました。まだ女性運転者は全国的にもかなり少ない時代でしたので、周りの社員の方にはかなりよく面倒を見ていただきました。

インタビュー

― 皆さんの運転者になるきっかけは何だったんですか?

押足)日東交通には、メディカル保険課(生命保険課)の生命保険募集人として入社しました。アフラックの生命保険の営業です。個人宅だけではなく、学校や役場や法人会などの職域も営業しました。試験も一般課程、専門課程を受験しました。コンプライアンスや個人情報の取り扱いの勉強もして、かなりの知識を身に付けました。5年間メディカル保険課に在籍して、営業所、その次に運輸部に異動になりました。
運輸部時代に高速バスで納車された、いすゞのGALAと日野のSELEGAを見て「カッコいいな、運転してみたい」っていう憧れから運転者になりました。入社した時はまさか自分が運転者になるなんて考えてもいませんでした。

吉田)高校を卒業してバスガイドをしていました。ある日、突然「私も運転したい」って思って運転者になりました(笑)。実は父も日東交通で運転者として観光、路線と乗務していたので、その縁もあって日東交通に入社しました。

山田)昔から大きな車に乗ることに憧れていました。今でもプライベートで大きな車に乗っています。遠出も好きだし、車中泊も趣味です。高校を卒業してすぐ重機などを扱う仕事をしたかったんですが、親の猛反対にあってなれませんでした。福祉の仕事をしていたことがあり、仕事で大型二種が必要という時期があったので自分で免許を取得しました。子育ても一段落したし、思い切って転職しました。

― 2021年11月に入社なので3ヶ月が経ちましたが、仕事には慣れてきましたか?

山田)最初は毎日緊張でした。研修で初めて運転した時はガチガチで(笑)。ですが、最近は大分慣れてきました。思っていたよりも運転席周りの機械の操作が多かったので覚えるのが大変でした。運転しながら操作することがたくさんあるんだなって思いました。

インタビュー

吉田)運賃の支払いもICということも多いし、バス停のアナウンスの操作も最初は覚えるのが大変。障害者手帳の提示があったら割引の設定をしたり、整理券の操作も車両によって違ったりします。

押足)私が運転者になった時にちょうどICの導入が始まりました。全員で使い方を覚えた時期でしたので皆でフォローしながら進めました。アナウンスの操作もバス停に人がいなければ音声合成を流したり、車内に人がいるかどうかで対応が違うので、流れの作業に慣れるのに少し時間が掛かりました。

― 皆さんはどのように大型二種免許を取得したんですか?

押足)運輸部にいる時に、社内に「大型二種免許養成制度」があることは知っていました。ですが、当時は大型一種か普通二種を保持していないと使えませんでしたから自分で取りました。今では要件が緩和されて、普通自動車免許を持っていれば「大型二種免許養成制度」を使えるようになっています。
仕事をしながらでしたので平日は教習所に通えません。ですから土日のみの通学で、取得するまで4ヶ月近く掛かりました。

吉田)私は当時、もう30年くらい前なので今とはだいぶ違って、この辺(安房地域)で大型二種免許を取得できる教習所はなかったし、一発免許も自信がなかったので、水戸の教習所まで行って取りました。教習所の隣の旅館に何泊もして(笑)。

― 随分苦労されて免許を取得したんですね。熱意が伝わってきます。

吉田)それだけこの仕事に憧れていました。ずっと旅館に宿泊していたわけではなくて何回か家に戻ったりしました。今では大型二種を取得するには費用が45~50万円くらいすると思いますが、当時は確か11万円くらいだったと記憶しています。

山田)私は一発免許に5回失敗して、それで教習所に通いました。一発試験は落ちると次の試験が1ヶ月後なので、かなり時間が掛かりました。それでもどうしても大型二種に受かりたかったので教習所に通いました。学科もかなり難しかったです。

吉田)ガイドを辞めてペーパードライバーの状態で鴨川で大型一種を取って、その後に水戸で大型二種を取ったんです。いきなりお客様を乗せて仕事をするのはハードルが高かったので、まずはトラックの仕事をしました。魚屋さんで1.5トンから始めました。バス運転者になるための修行です。それから徐々に乗る車を大きくして、トラックの会社、ダンプの会社と転職しました。

インタビュー

― それは以前取材した嶋野さんも言ってました。将来バス運転者になるために修業期間を設けたそうです。

押足)すごーい。私は何も考えなかった(笑)あのバスに乗りたいって思っただけ(笑)

吉田)当時はバス運転者になるのは今より大変でした。経験が必要とうたっている会社が多かったんです。

山田)そうでしたね。そういう時期がありました。

― 嶋野さんは吉田さんに憧れて運転者になったそうです。

吉田)そうなんですね。嬉しい(笑)。木更津営業所で在籍時期が被ったことはないんですけど、私が鴨川日東バスで木更津線に乗務している時に、まだ彼女が路線バスを担当していて、木更津駅で会って話をして、すごく仲良くなれました。
ラジオの「かずさエフエム」の女性運転者インタビューの収録で一緒になったりして、今でも仲が良いです

山田)実は私も吉田さんに憧れていて、街中で色々なところで吉田さんがバスを運転しているのを眺めてました。見つけると車で後をつけてました(笑)。運転上手いなって思いながら。

吉田)え~、知らなかった。ストーカーじゃん(笑)でもすごく嬉しい。

― 2017年の女性運転者の割合は1.7%(日本バス協会より)だそうです。日東交通では15人(4.3%)の女性運転者が在籍しています。

吉田)私が入社した当時は、まだ都内でも女性運転者は少なかったと思います。高速バスに乗るようになって、何回か浜松町で他のバス会社の女性運転者と会ったことはありました。

山田)それだけ多いのは、環境が良いからだと思います。入社した人が辞めないということですよね。

押足)女性用の制服があって、毎年支給されています。鴨川営業所は昨年建て替えられて、女性専用の休憩室もあるので助かります。
事務者の時の楽しさ大変さと、運転者のそれとは比べることは出来ないけど、今はすごく楽しいです。

― 運転者に転職して良かったと思うことは何ですか?

押足)お客様を乗せて、目的地に安全に届けて「ありがとう」と声を掛けていただく時です。休日はどこかに遊びに行った帰りなのか、寝ているお客様もいます。寝ているということは私の運転に安心しているということだと思います。そういう運転を出来ていることも嬉しいです。もっと安全に、お客様に安心と思っていただける運転をしようと常に思っています。

インタビュー

山田)精神的に楽になりました。それまでは金融機関に勤務していて、その時は毎日ピリピリしていました。休みの日でも気が休まらないというか。かなり神経を使う仕事でした。今とは違う神経の使い方です。今では安全・安心な運行をするために注意を払っていますが、大好きなバスの仕事が出来ているということで、毎日とても楽しいです。以前は仕事のストレス発散の為にドライブをしてたんですが、それが仕事になったので毎日楽しく仕事をしています。転職して良かったです。

吉田)私は運転してるだけで幸せなので、毎日幸せです。バスに乗ってるだけで幸せです。仕事に行きたくないと思ったことは一度もないです。

― 会社に対しての要望はありますか?

吉田)直接、業務ということではないんですが、女性運転者というのは年代が決まってくると思うんです。私達の世代だと子育てが終わって自分の時間が作れるようになる年齢です。これが結婚して、子供がまだ小さくてという世代の人だとなかなか難しい仕事ではないでしょうか?

押足)子供が熱を出したり、体調が悪かったら病院に連れて行かなければならない。事務者であれば朝1時間遅刻して、終業時間で調整するということは出来ましたけど、バスの仕事だとそれが難しい。バスは1時間遅れて運行することは出来ないので、代わりの人がいないといけない。だけど当日急に代わってもらうことは出来ません。

山田)子供が学校を卒業して、独立しているので安心してこの仕事が出来ています。せっかく若い人が入社しても、結婚して子供が生まれると退職してしまうということも出てくるんじゃないでしょうか。近くに面倒を見てくれる親がいれば預けられますが、なかなかそういう環境の人も多くないと思います。子供がいると難しい仕事かもしれません。

吉田)子育て世代は勤務するのが厳しい業種だと思います。時間も不規則ですし。実際に子供が産まれて、仕事を続けられなくて退職した人を見ています。

山田)ダイヤにもよるけど、朝早かったり、逆に夜遅かったりですからね。

押足)社内は女性運転者は多いけど、年齢も高いというのが現状だと思います。

吉田)なかなか難しいかもしれないけど、これは日東交通に限ったことではないと思います。多分、全国的に課題になっていることではないかと感じます。要望ではないですけど、改善していけたら良いと思います。

インタビュー

― 今後の目標を教えてください

押足)高速バスを運転することに憧れて運転者になりましたが、今はもう満足です。免許はあるし、いつでも運転出来る環境にあるので。今後も路線バスを担当して行きたいです。これからものんびり運転したいです。それに高速バスは間違えたら大変という思いもあるので。
今後も路線バスを担当して、この仕事をずっと続けて行きたいと思っています。

吉田)高速乗れば良いのに。憧れのSELEGA。

押足)高速道路で迷子になっちゃうと困るので(笑)

吉田)大丈夫よ。決まった路線しか走らないから(笑)何かあれば営業所の指示もあるし。営業所構内だけ運転するなんて勿体ない。路線バスとは違った楽しさがあるよ。

山田)今はまだ出来ませんが、路線バスをしっかりこなせるようになって、自分の技術がどこまで伸びるかということもありますが、いつかは高速バスに乗務していきたいです。

吉田)私は運転しているだけで幸せなので、この仕事をこれからもずっと続けていきたいと思っています。

― 今日はお忙しい中、ありがとうございました。

(2022年3月2日インタビュー)

女性が働きやすい仕組み

女性専用スペース

女性専用の更衣室、ロッカー、休憩室がありゆっくりくつろぐことが出来ます。

インタビュー

大型二種免許養成制度

充実の制度で費用負担なく大型二種免許の取得が出来ます。
view

インタビュー

一覧に戻る> 一覧に戻る

応募フォームはこちら

view
トップへ戻る

PAGETOP